時をかける少女(2回目)
★1回目の感想はこちら★
まだ見ていなかった妻に見せるという建て前(笑)で、2回目行ってきました。
大阪では公開3週目だけどやっぱり立ち見の混雑ぶり。
混雑自体は嬉しくないですが、いい映画が盛況なのはやはり嬉しいです。
いやー、やっぱり良かった。
一度見た後に、その時々の真琴の心境に突っ込んで思い入れしていたこともあって、初回以上に泣けました。
あのボロボロな泣きっぷりが実にいい。
以下はネタバレモードですので未見の人は現金5000円、もとい厳禁です。
初回では気付いてなかった細かい伏線にもチラホラと気付きました。
千昭って結構最初から博物館に顔を出してたんですね。
しかし、初見の妻がコレに気付いていたりして、自分の観察力の無さにもバッチリ気付きました。わーん(^^;
初回では主に真琴に感情移入して見ていましたが今回は余裕もあったので、
千昭の心情も想像しながら見ることが出来ました。
遠からず未来に帰られなければいけないと分かっていても、真琴に告白(俺とつきあえば?)せずにいられなかったことも、
真琴につれなくされて一時は友梨に傾いてしまうことも、千昭の視点で考えてみるとよく分かる。分かるよ千昭(笑)
計算尽くで考えれば、踏切事故現場で真琴に「未来から来た」ことを伝えなくてもいい気もするのですね。
そこで自分(千昭)のカウントが0になって未来に戻れなくなっても、それこそ「真琴が事故の可能性を認識する前」に戻ってやりなおして、真琴に真実を伝えなければ、以後は現代で生活を続けることも出来たでしょう。
でも、…伝えたくなってしまったのかもなあ。
このあたりの千昭の思考はおそらく非常に純粋で真っ直ぐで、こういう裏技を考える自分の「汚れた大人っぷり」をも再認識させられたりして(^^;;;
大人にとっては何というか、踏み絵のような映画です(笑)
■以下はさらに完全にネタバレモードです。超注意を!
今回見るときは注意して見ていようと思っていた所が2点ありました。
1.「千昭はいつ真琴がタイムリープしていることに気付いたのか」
2.「真琴は何故にカウンターが一度“0”になった事を記憶していたのか」
■1については、
終盤に坂道での電話で「おまえ…タイムリープしてねえ?」のセリフがありますが、
これって“7月13日の午後4時頃”での出来事で、この時点で千昭が真琴のタイムリープを疑う理由があったかなあと疑問だったのです。
13日以後だったらいくらでも千昭が真琴に疑念を抱きそうなシーンはあるのだけども。(分かり易い所ではカラオケとか)
しかし、これは単純に直前の真琴の「なんだかさ、ひさしぶりに話する」のセリフで気付いたと考えれば特に不自然でも無いかなと再認識。
それまでの「13日以後」でも千昭は真琴のタイムリープに気付いていそうなものですが、これは単純に話すきっかけが無かったのだろうな、と。
千昭の心情的に、この時代から離れ難かったのだろうと思います。
■2については、
極私的マンガウォッチング「B館」さんの「時間軸検証PDF」(素晴らしい労作です。御苦労様です)を見ていても思った疑問ですが。
千昭のタイムリープで「攻介の踏切事故」を無かった事にして、真琴のカウントが「0から1に戻った」なら、
真琴の記憶も「カウント0になる前」に戻っていて、真琴は「一度0になったこと」自体を覚えていないはずなのですね。
極私的マンガウォッチング「B館」さんのPDFでは、これを「真琴は一度カウント0になった事を実際には忘れているけど、演出のトリックで観客には“真琴がカウント0を覚えている”ように見せているのではないか」と解釈されている、のだと思うんですが(違っていたらすみません。どうも書いていても混乱してくる)、
しかし、後の真琴のセリフで明確に「0だったハズなのに」と言ってしまっているのはやはり整合性が取れない。うーむ…
整合させるためには
A.真琴が一度カウント0になった事を覚えている(=千昭との電話の後)
B.真琴が坂道で転げ落ちた傷が治っている(=真琴が坂道を降りていく功介を追いかける前)
の間の短い時間の中で、千昭がタイムリープによって「自転車」をかっぱらわなくてはいけない。
功介の家(病院)があの坂道の物凄く近くだと考えれば、功介の家に停めてあった自転車をかっぱらうことは可能・・・・・・・・
・・・・・・・ いやいやいや、ないないない。無理があるよかなり(^^;;; 上のAとBの間って長くても数十秒だったと思うし。
千昭のタイムリープが真琴と違った特殊なものだったとも解釈出来るけど。
時間を止めたりしてるし、2人の人間を対象にタイムリープ(もしくはタイムストップ)も出来てそうだし、転げ回らないとタイムリープ出来ない真琴とは違う「正しい使用方法」「特殊な使用方法」を千昭が知っているのは確実。
真琴がカウント0になった時点以後(そして真琴が傷だらけになる前)に、
(真琴が責任感じて泣きわめいた)未来から千昭がタイムリープで戻ってきて時を止めて、功介から自転車を奪ったと解釈すれば成立するか? するのか?(それも功介の家と坂道との距離がネックになる気も)
うーーーーーーーむ。
様々な伏線が周到すぎて、単純に作品のミスとも思いにくいんだけど、
思考がグルグルしすぎます。
やっぱり「真琴は実はカウント0を直接は覚えていない」とする方がしっくり来るかなあ。
速報ダム日和さんの記事での「先生、分かりました!」以後の解釈「真琴思い込み説」が一番しっくり来る気がします。
真琴の性格ならかなり説得力があるのではないかと。
■とまあ、グダグダ考えもしてしまいましたが、
このあたりは些事としてうっちゃってもいい気もします。
いい映画であることには違いないのですよ。
細かいことついでに思いついたことをもう一つ。
千昭の「(クルミを無くして)夜も眠れなかった」発言は13日時点ですが、
これは「クルミを無くした日が12日より前だった」と考えれば何の問題もないか。うむ。
色々書いてしまいましたが、結局のところいい映画です。見れて良かった。
■おまけ
サイトで描いた時かけ絵
大きい版はサイトの方で
■おまけ2
それでも真琴は回っている(通称“それまこ”)
■おまけ3
えいが道・時かけ漫画
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コメント
真琴がタイムリープ能力を持ってしまったからには、時間跳躍に関するトラブル回避のためにも、千昭はタイムリープについての真実を真琴に告げないとまずかったのではないでしょうか。いつから真琴が時間跳躍できるようになったか千昭には解らないため、どこまで戻れば「真琴のタイムリープ能力」を無かったことにできるか解らず、だから次善の策として真琴に話したのでは。
カウント0を真琴が覚えてる件については、時間跳躍する千昭に真琴が「引きづられた」結果、意識と肉体にタイムラグが生じたんじゃないかな、と私は今のところ解釈してます。たとえば、何度も不正規タイムリープを繰り返して真琴はかなり量子化しちゃってて、存在が不確定になってるとか。それが意識と肉体の時間にブレを生んでしまったと。そんな感じ。
シュレディンガーの猫が出てきましたけど、つまりは不確定性の世界。古典物理学みたいにきっちりと時系列や存在情報が確定できるものではないよ、ということじゃないかなぁ、と。
時間跳躍ものは、本質的に矛盾ができてしまうものなのですが(古典物理学的には)、今度の映画はかなり矛盾を抑え込んだ出来の良い脚本だと思います。
投稿: 鹿苑 | 2006年8月13日 (日) 13時19分
千昭が真琴にタイムリープの真実を告げなければならなかった、との解釈も確かに有りかも知れませんね。
情報は抑制されているので「これが真実だ!」なんて答えは出ないのですけど、色々な可能性が考えられて楽しめるところが作品の懐の深さだとも思えます。
何のかんのと書いていますが、結局は色々考えるのが楽しくなる魅力ある作品なのだと。
シュレディンガーの猫、出てましたねえ。
確かにこれは不確定な曖昧さを許容する象徴だったのかも。
身も蓋もなく言ってしまうと千昭は「自分がクルミを無くす前」にタイムリープすれば良かったとも言えるのだけど、それを言ったら終わりですね(^^;
投稿: でんでん | 2006年8月13日 (日) 13時41分
真琴のタイムリープ能力が「千昭のクルミ」に由来するものかどうか、千昭には解らなかったのでは。「他のクルミのせい」かもしれないし、「もしかしたら真琴も未来人かもしれない」ということも考えられるわけです。
投稿: 鹿苑 | 2006年8月13日 (日) 14時00分
未来人が「結構いる」可能性もないではないですか。
>不確定性の世界
先に書き忘れてましたが、
この不確定性ゆえに真琴が「絵」を先の世に残し得る未来も有り得ると希望が持てて良いなと思えました。
投稿: でんでん | 2006年8月13日 (日) 14時46分
>真琴が「絵」を先の世に残し得る未来も有り得る
これは重要ですよね。
古典物理学的には、千昭が過去へ出発した後の未来で、「消失してたと思われてた絵が実は現存してたのを発見」となるようにしておけば、まあ、矛盾はないのですけど。
んで、真琴のカウント0記憶は、いうなれば、一種のデ・ジャ・ヴュとも言えますね。普通の既視感と違うのは、改変されてしまった未来の記憶を引きずってるとこ。それだけ印象が強かったのでしょう。
さっきね、私にも既視感があったのですよ。このヨーグルトを食べた記憶がある、と……。ごろごろごろがったーん。
投稿: 鹿苑 | 2006年8月13日 (日) 14時57分
千昭が断片的に語った未来世界自体は、決して夢に溢れた幸せな未来では無いようですが、
それでも、未来は自分で引き寄せて変えていけるのだと、
ジュブナイルに相応しいメッセージがこもっているように思えたラストでした。
「走っていく」が本当にいいなあ。
自分もたまに「このネタは描いた記憶がある」、とか思うことがありますよ。デジャビュですね。ごろごろごろがったーん。
投稿: でんでん | 2006年8月13日 (日) 15時23分
今話題の、極私的マンガウォッチング「B館」さんのトラバをクリックしてたどり着きました。
カウント0記憶問題ですが、あれは、功介を助けた際、千昭が「真琴もろとも」リープしたから、真琴の記憶も消えなかったってことなんじゃないでしょうか。
あのときだけ時間が止まったりして、なんだか特殊だったし。どうかなあ・・・。これが正解だと思うけどなあ・・・。
あと、「夜も眠れなかった」発言についてなんですが、千昭って、劇中、少なくとも3回はタイムリープしてますよね。
功介を助けるために1回、未来へ帰るために1回、そして最初の理科準備室で、1回。
ひょっとしたら千昭は、クルミを探して何度もいろんな時間軸を跳びまわってたのかもしれませんよね。
とすると、千昭個人の上にだけ流れる時間の中では、夜も眠れなかったことがあったのかも。
誰か身の回りにタイムリープしてそうなヤツはいないか、じっと観察しながら生活したりして。
・・・ってまあ、私的には、真琴がテストで100点取った時点で気づいたんだろうと思うんですが。
でも、この映画の見所は、かわいい真琴が泣いたり笑ったり怒ったり飛んだり跳ねたり転んだりしながらちょっとだけ大人になるところなわけで、
私は真琴と出会えて元気になれたから、それだけで思いっきり満足です。
あと、「未来で待ってる」発言についてですが、私は、
「これから真琴が自分の力で作っていく素晴らしい未来を信じてる」という意味の、
文学的表現と取ってもいいのかなあ・・・と、思ったり思わなかったりしています。長文スマソ。
投稿: 深町吾郎 | 2006年8月21日 (月) 17時39分
深町吾郎さん、はじめまして。
そのお名前だとケン・ソゴルというよりケン・ソゴローでしょうか(^^
>カウント0記憶
千昭のタイムリープは確かに真琴とは種類(というより使い方)が違うようですので、真琴を巻き込んで2人でタイムリープした可能性は自分も考えたのですが、
単純に「カウント0後の真琴」を巻き込んでタイムリープしたとしても、真琴の身体の傷が治っていてカウントも戻っているなら記憶も消えてる(カウント0前に戻っている)のが自然では、と、最初引っかかったのですよ。
しかし、色んな仮説を考えたり、上での鹿苑さんの説を見ている内に、「色んな可能性が考えられるのならそれでいーや」というような心境に達しております。いいかげんですみません(^^;
いろいろと考えたくなる映画ですが、やっぱり自分もこの映画の最大の見所は真琴自身だと思いますので。
未来で待ってる発言は、自分も「●年後に会おう」というような意味では無いだろうと思ってます。
千昭の未来が数十年レベルの近い時代だとも思い難いですし(原作だとケン・ソゴルが来たのは2660年くらいでしたっけ?(本は未確認) 今作が原作と繋がってるとしたら、千昭の時代はケン・ソゴルの時代より前ということは無いでしょうし)
実際に二度と直接会うことが無いとしても、それこそ「絵」などで、真琴の思いが未来に伝わってくることを待っている、という事かなと。
投稿: でんでん | 2006年8月21日 (月) 18時27分
未来で待っている発言は叶うと思います。
一度帰って、何年か経ってまたタイムリープして来る事は可能だと思うのです。
投稿: | 2014年10月 7日 (火) 15時33分
もう8年前ですか。懐かしいです。
投稿: でんでん | 2014年10月 7日 (火) 20時57分