鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星(映画)
(村田和也監督)
鋼の錬金術師の劇場版。
全く楽しめないわけでは無かったけど、正直ちょっと物足りなかったです。
原作&TV版が実にきっちり完結した後だったので、あらためて映画を作る意義があるのだろうかと、劇場版制作発表がされた時から思っていましたが、
観た後も正直その懸念はあまり払拭されず、描きたい物語があるから作られたのでなく「映画を作る事」がまず前提に有りきで作られた作品だったかと思いました。
劇場でもらった「11.5巻」の座談会によると実際そうだったようで;
主に劇場オリジナルの登場人物達の立ち位置が進行と共にどんどん変わっていきますが、短い間に激変しすぎて感情移入し難かったのも問題だったかと。
それに加えて、主人公であるエドやアルは原作での立ち位置から余り動かせないため、予想の範疇を超える行動・言動をしてくれないので、周囲のオリジナルキャラばかりが動いて、余計に主人公達の魅力を引き出せてないように思えてしまいました。
原作&TVの「後日談」ではなくて「途中の話」だから仕方ないと言えば仕方ないのですが。
ちなみに、原作でのどの時点にあたる話かと言うと、「11.5巻」によると原作45話の途中くらいでの話だったようです。
アルがもう「両手パン錬成」が出来るようになった後で、エド&アルがリンと組んでホムンクルス&スカー釣りをやってたあたりですね。
このホムンクルス&スカー釣りの結果、ランファンが大総統と戦って腕を失ったり、ウィンリィがスカーが仇だと知ったりして大きく状況が動いていくので、その間に話を挟むのは結構無理矢理という気がしないでもありません(^^;
以下羅列。
・ウィンリィやマスタング大佐があの街(テーブルシティ)にやってきたのは、正直「出番を作るためにかなり無理をした」ように感じられました。
・特に大佐は、あの場合わざわざ本人が行くものだろうかと思いました。まあ、ハボックが入院中だし人手も足りなかったかも知れないけど。
・でも、結局大佐何も活躍してねー(笑)、まあ、ラスト戦のダメージが抜けてなかったんだろうけど。(それなら尚更現場に出張るなよ)
・ウィンリィの出番作り方法も結構無理やりだったなあ。
・映画オリジナルのヒロイン・ジュリアとアルがいい雰囲気になったりしますが、この時点でのアルはまだ彼女(?)のメイに出会っていないからセーフでした(笑)
・今のタイミングで「大いなる力」とか言われると、ゴーカイジャーが錬金術を使い出すようなイメージが脳裏に浮かんで困ります。
・作中での重要ギミックで「2人分の血液」が使われますが、とても2人分とは思えない量だったような。
・テーブルシティの上の街には一般人はいなかったのだろうかと、あの結末を見るととても気になりました。
・全般的にギャグやユーモアが足りないのも、ハガレンらしさを感じにくい一因だったかと。
・それにしても、誰も彼もみんな運動神経が良すぎですよ。足場が振動する列車の屋根の上でも、空中を渡る細い配管だろうと平気で走り飛び回り、高い絶壁から落ちようとも全然ノープロブレム。コナン(←未来少年の方)ですかあんた達。
・11.5巻の「ミロ星!!」は笑いました。
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